三菱重工業に入社し、配属は名古屋航空機製作所品質管理課で、現在の名古屋ドームの敷地でした。入社3年目から米航空機メーカーのダグラス社からの油圧ドア、5年後P&WA社からのJT9Dタービンブレードの下請受注し、P&WA駐在員のカウンターパートとなりました。

品質管理課の課長は米駐留軍に従事したとあって、米国流の業務であり、私が残業していると“お前は残業代が欲しいのか”、それとも“能力がないのか”との話があり、私は両方をも採らずに、“残業を無くす”ように努力しました(16時には帰路に)。

 私は、その課長に勤務1年後に“米国に10日間旅行したいが休暇をいただけますか”と話ししましたら“即座にOK”を得ました。私の意図は、戦争で米国になぜ負けたのか、そのような世界をみたかったのです。すごい国だとただただ感心するばかりで、得るところが大でした。結局その年は、欠勤しましたが、課長は何のお咎めもありませんでした。私の“そのような行動が喜んでもらえた”と思いました。

 最初の工場では、航空エンジン部品製造、修理、航空油圧品の設計、製造を担当していました。また、パワーショベル用の民需油圧を製造し、他の事業所に納入していました。そのうちオイルショックで急激なバブルとなり、その後に不景気になり民需油圧製品への顧客クレームが工場に押し寄せてきました。

会社としてこのプロジェクトをどうすべきかとの活動がなされ、設計、製造、品質の面から調査分析をすることになりました。

私は、民需油圧製品を担当していなかったので品質面の調査員として選定されました。クレームの上位7品目を調査していたら、試作品では材料が鋼に対して量産品では鋳造。信頼性試験の要求が連続1,000Hrなのが、350Hで破壊した場合、350Hの繰り返し3回で1,000Hを達成したようにして合格としていたのです。また、クレーム品がどのくらいの時間で破壊していたかはHour Meterのデータでわかりますので信頼性解析を行ったら短時間での疲労破壊のデータと出ました。

課長に報告したら、“お前が工場長に報告してこい。工場長には事前に報告しておく”と言われました。工場長は、黙ってじっくり聴かれ、一言、“回収しよう”そして、“設計はやり直しにしよう”でした。ペーペーの私の話(悪い情報)をトップが聴いてアクション指示されたのです。

 このプロジェクトでは、品質データの確認と偽造データをトップに報告することが非常に重要であるということです。
 現場で毎日のように記録を確認していたので、製品品質データ(記録)の見方を養いました。
 
文責 門間

次回は、私の人生(その3  航空機等の品質初期計画)です。